日本のパッケージデザインとアメリカのパッケージデザインとのちがいを考えてみる

ずいぶん前になるが、
スタッフ二人と共に岐阜のコストコへ
ちょっとした店舗視察(と、買い物)に
行ったことがあって、
その時に思ったことが、
だいぶまとまってきたので書いてみちゃう。

そういえば、今アメリカに住んでいる同級生も、
店に並ぶパッケージについて、
「日本の方が断然、親切デザインよ」
と言っていた。

コストコの日本製の商品は、
やはり、アメリカのそれとはまた違うので、
十把一絡げには言えないけれど。

日本のパッケージは基本、日本人向けなので、
漢字、ひらがな、カタカナ、数字、英語など、
これらを組み合わせてできている。

表現の幅が広いといえば広い。
識字率も高いので、複雑な表現ができる。
その分、初見での理解に時間がかかるから、
複雑だが直感性が大切になる。

しかるにデザインは、
最大公約数を求めるように見える。

流通業界のお手本アメリカは逆で、
人種が多彩、格差も広いから、
表現方法が狭まってくる。
共通言語を持たないと、
コミュニケーションが成立しない。

シンプルでかっこよく見えるが、
文字以外で表現しないといけない
制約が逆にある、とも言える。
また、独特な商品名称ではなく、\
屋号+アイテム名、という表記になる。

たとえば、

「ランチパック」ではなく

「(どこそこの)耳なしサンドウィッチ」

といった具合。

わかりやすくしないといけない分、
シンプルにせざるを得ない。
そういう意味では、
求めるデザインは最小公倍数とも言える。

算数が苦手な私には、
どちらもむずかしいw

混沌がすべてアートなわけではなく、
シンプルがいつも尊いわけでもない。
どちらにもデザインのマナーがあって、
作り手は、それを見抜けないといけない。

作品を作る、という意思をもって
デザイン制作をすることを、
揶揄するきらいがあるけども、
最近、この歳になって
そんなことはないんじゃないか?
と思うようになった。

僕たちは、そのいただいた仕事の中で、
他にはない「目新しさ」「優位性」を
表現しなければいけない。
それが売上につながっていくのであり、
クライアントもそう願っている。
どんな小さな商圏の中でも、
それは常に先端を目指す闘いで、
有象無象の評価の中で、
有象無象の価値を目指している。
だからこそ、結果として作品になっていく。

要は、それくらい気合入れてつくってんだよ、
ということなのだ。

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